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坂井さんの引退に寄せて
アイスホッケープレイヤー坂井寿如さんが現役を引退されました。試合をとおして、多くの感動やたくさんの勇気をいただきました。今後は指導者の道へ進まれるそうですが、精進されて後進の育成に力を発揮されることを、期待をもって見させていただきたいと思います。

2003/03/30 ファン感謝デー in 新横浜
T期(23回〜28回)
蝦名さんらと共にポイント量産、王子製紙とマッチレース

坂井さんのデビュー前、すでに日本リーグは良く見ていたので当然ながら星野さんの活躍を見てきていました。坂井さんが学生時代からスーパースターだったことはアイスホッケーマガジンで知っていましたが、学生の試合は見ていなかったので、期待することもなく、星野さんの背番号「16」を継ぐ選手は大変だろうなという思いくらいしか持ち合わせませんでした。
試合に出るようになるとすぐに大活躍。文句なくの最優秀新人賞受賞ですが、残念ながら当時のことは余り覚えていません。当時セットを組んでいた瀬沼さんや蝦名さんを好きだったので、あまり坂井さんを意識して見ていなかったのかもしれません。
この頃は国土計画と王子製紙がトップ争いの死闘を繰りひろげていました。坂井さんが入った23回、国土計画は優勝しましたが、24回〜25回は優勝を王子製紙にさらわれ2位に甘んじて本人辛かっただろうなと思います。

何の試合だったのでしょうか、シュートアウト(PS戦)の時のことです。坂井さんはシュートを外したか、ブロックされたかは覚えていないのですが、いずれにしてもシュートアウトでゴールを決めることができませんでした。すると坂井さんは余程ショックだったのか、ベンチに戻ってからパニックを起こしているように見えました。それを見て、なんてこの人は責任感の強い人なんだろうと思いました。それが管理人が坂井さんを強く意識した初めです。

23回〜26回は蝦名さん・瀬沼さんとセットを組み、DFの工藤さんも含めてゴール・アシスト共に量産していました。ポジションは坂井さんがCFでしたが、蝦名さんと共に2CF(サッカーの2topみたいに)のような感じだったかもしれません。27回になるといわゆるCFとして、鈴木勲さん・清枝さんのゴールをアシストする役割に重きを置くようになっていったようです。

U期(29回〜32回)
長野オリンピック、日系人・外国人の加入、西武との戦い

32回に当たる1998年の長野オリンピックにむけた強化のために、29回から日系人の解禁、30回には外国人枠2人が導入されました。外国人枠は18回を最後に12年のブランクの後でとても嬉しかったですが、今更ながら残念な12年間でした。これによりチーム事情が一変して西武鉄道が台頭し、それまで熾烈な競争相手だった王子製紙がシステム導入の遅れもあってか優勝から遠ざかっていきました。管理人自身はコクドの応援が長いのですが、西武鉄道や古河電工も好きで、コクドに重きを置くようになったのはこの頃からです。
コクドにも辻占さん、桑原さん、ユールさん、八幡さんが入ってきて、28回に入ってきた二瓶太郎さんも合わせてチームの陣容が随分変わりました。そして、それまでのようにセットが固定されず色々なパターンでセットを形成していたようです。

チームの中堅選手となった坂井さんは、調子が良いとき、スティックの柄を握る側の右腕がぐっと絞られて右手のグローブが胸の前に立ってくるんです。それを見るのが好きでしたね。 長野オリンピックは、それこそ夢のような日々でした。坂井さんは日本代表のキャプテンとして出場され、晴れがましかったです。日本戦は予選リーグの3試合は見に行きましたが、残念ながら順位決定戦は行かなかったので、日本の勝利シーンに立ち会えませんでした。

坂井さんのゴールを数多く見ているのですが、一番印象に残っているのは、西武鉄道のGK芋生さんから奪ったゴールです。アイスホッケーマガジンで調べてみると、32回の西武鉄道とのプレーオフ・セミファイナルの第3戦、コクド5点目となった坂井さんのシュートだと思います。 29回の優勝のあと、前・後期制となった30回は前・後期とも2位でプレーオフに進めず、31回はセミファイナルで西武鉄道に敗退しました。迎えた32回、オリンピック代表はレギュラーリーグは最後の10試合しか出られなかったものの、コクドはレギュラーリーグを1位で通過、4位の西武鉄道とセミファイナルで前年に続いて戦うことになりました。 このとき芋生さんは絶好調。1戦目は悪い内容ながらコクドが勝ったものの、2戦目はボロ負け。3戦目はシュートを多発して芋生さんを盛んに崩しにかかるコクド。そんな中、左のほとんど角度のないところからの坂井さんのリストを効かせたシュートが決まり、芋生さんがガクっと膝を落としたシーンは今も脳裏に残っています。

V期(33回〜37回)
アイスホッケーの危機、クレインズとの戦い、勝利へのハート

古河電工が33回を最後に廃部し、奇跡的にアイスバックスとして歩み始めました。さらに雪印が35回を以って廃部、36回は札幌ポラリスとして参戦しましたが1年で消滅しました。

33回・34回はタッカーさん、鈴木貴人さん、坂田さんらとセットを組んでポイントを量産し、5年ぶりのベスト6を2年連続で受賞しました。33回はクレインズとのセミファイナルでは先に2敗の崖っぷちから逆転し、ファイナルで王子製紙をかわして優勝すると、坂井さんはMVPも獲得しました。
当時発行されていた画期的な情報誌「アイスホッケー新聞」の表紙となった表彰式での優勝カップを胸に抱えてほっとした表情をした坂井さんが非常に印象的でした。

33回に鈴木宣夫さん、矢島さんが引退されたこともあり、ご本人の意向は分かりませんが、35回ころから「引退」の文字が頭をよぎるようになりました。良いポジションでパックを受けてもスピードに乗ってゴールを目指すことが出来なくなったり、自分の思い通りではないように思えるシーンもあって、ご本人も厳しい状況と思っていたのではないかと推測します。しかし、最後まで絶対に諦めない気持ちとか、ここぞの時に頼りになることは変わりありませんでした。
35回以降コクドのレギュラーリーグでの勝率が目に見えて悪くなりました。そんな中、33回セミファイナルで苦杯をなめたクレインズが若手選手の伸びを得てコクドから白星を容易に取るようになってきました。そしてどういうめぐり合わせか、35回・36回のセミファイナル、方式が変わった37回にはブロンズラウンドでクレインズと当たりました。36回・37回はクレインズ有利と見る向きもありましたが、驚異的な勝負強さでことごとくクレインズを退けました。毎回タフな内容で見ていてヒリヒリする試合でした。36回のセミファイナル第2戦、2度目(!)のオーバータイムに挙げた坂井さんの決勝ゴールは見事でした。

36回の優勝のあとに、コクドのオフィシャルホームページに載っていた坂井さんのコメント(質問に対する答え)です。
「チームというのはデリケートなもので良い状態を続けるのはとても難しい事です。いろいろな原因で簡単に悪い方へ向かってしまう。何とかそれを食い止めるのはチームワークと選手の意思の強さだと思います。今回のコクドはプレーオフを戦っているうちに前年チャンピオンのプライド、自信がよみがえってきたようです。勝つ事はとても大事な事ですがそのプロセスで自分達が何をしてきたか、それがチームの財産になりチームを強くする足がかりになるはずです。」
ハートの大切さ・怖さを最も感じていたのでしょう。

37回を以って現役を引退されました。残念な気持ちもありますが、充分やっていただきました・お疲れさまでした・ありがとうございましたという感謝の気持ちが大きいです。38回が始まってベンチにいないのを見たら寂しいとは思いますが。

悲しかったこと
残念だったのは、2000年12月17日雪印スケートセンターでの「ペットボトル事件」のときです。坂井さんは両ベンチの間に立ち、雪印のベンチ裏の観客の方を凝視していましたが、コクド側の選手を止めに入るようには見えなかった。コクドサイドのオフィシャル側で見ていただけで事件全体を把握しているわけではないので、事件自体を云々する気はありませんが、坂井さんには「あの場」で事の重要性を感じ取って、適切な態度を見せて欲しかったと今でも思っています。
また話は変わり35回〜36回頃だったと思うのですが、坂井さんがベンチに入っているにも関わらずグローブを外していたときは寂しかったです。ベンチ内でコーチの役割を果たしておられましたが、やはりいつでも飛び出していけるようにグローブを嵌めて、スティックを握っていて欲しかったです。

プレーヤーとしての坂井さん
素人なりにプレーヤーとしての坂井さんを見ると、視野の広いプレーをされて、良いポジション取り・的確なパスなど優れたセンタープレーヤーでした。身体の使い方がうまくて、ゴール前の強さは相手チームへプレッシャーをかけていました。また強いリストから放たれるリストシュートとか、バックハンドパスとか好きでしたね。

しかしスキルやテクニックのことではなく、「いつでも頑張る」選手というのが、坂井さんに対する管理人の一番のイメージです。そして、誰よりもハートを感じさせる選手だと思います。しつこいプレーが身上で、相手選手に随分嫌われたことでしょう。また相手チームのファンからヤジが飛んでいましたが、それも相手に嫌がられるプレーをしてのことだからですね。500pをはじめとして見事な記録を残しましたが、それ以上に記憶に留まる選手ではないかと思います。

サッカーのリトバルスキーだったストイコビッチだったかな、ある雑誌のインタビューで、「練習の時から全力で頑張らない選手は、実践で絶対に実力を発揮できない」という旨の話をしていましたが、坂井さんはきっといつでも頑張っているんだろうなと想像させる選手でした。

指導者へ
良い選手が良い指導者になる保証はありません。両者は別物です。ご本人の相当の努力があったものとは思いますが、エリート街道を歩んでこられた坂井さんは良い選手でありましたが、今後は是非とも良い指導者になっていただきたいと期待しています。

スポーツを観戦して応援するのは楽しいです。応援しているチームが勝つとファンは嬉しいです。でもその嬉しさは選手自身のものだから、嬉しさの大きさは選手にはかなわないと思います。それでも嬉しさを分けてもらっているファンは、選手の喜んでいる姿や嬉しそうな顔を見るのは嬉しいんです。
坂井さんには、抽象的な言い方になりますが、ファンを喜ばせる指導者になっていただきたいと思います。
試合に勝つこともそうです。選手が上手くなっていくこともそうです。選手が良いプレーでイイ顔を見せるのもそうです。仲間のゴールを喜ぶ姿もそうです。選手の人間的な成長が見えるのもそうです。

コーチングの勉強というものがどういうものなのか見当がつきませんが、色々な経験を積んでいつか私たちに見えるところに帰ってきて欲しいです。

坂井さんの日本リーグ戦績
優勝9回
(23回、26回、27回、29回、32回、33回、35回、36回、37回)

出場試合数424(暦代6位)
ゴール224(暦代6位)
アシスト276(暦代2位)
ポイント500(暦代4位)

最優秀新人(23回)
MVP(33回)
ベスト6(25回、26回,27回,28回,33回,34回)
最多アシスト(27回,28回)

224ゴール
276アシスト
相手チームアシスト選手相手チームゴール選手
アイスバックス49蝦名40クレインズ61蝦名44
ポラリス46鈴木貴28王子製紙57工藤23
西武鉄道45工藤26アイスバックス56鈴木勲20
クレインズ43タッカー17ポラリス52桑原18
王子製紙41桑原15西武鉄道50清枝17


瀬沼15

瀬沼14


伊賀11

八幡12


鈴木勲11

鈴木貴12


八幡11

タッカー10


梶山10

ユール10


石井9

中島谷ニ9


高橋9

マリヌッチ8


辻占8

石井7


伊賀7

坂田7


片山7

フォスター7


中島谷一7

運上6


二瓶太 7

片山6


マリヌッチ6

川口6


坂田5

清枝6


フォスター5

内山朋5


川口4

高木5


内山朋3

辻占5


佐曽谷3

中島谷一5


佐々木圭2

増子5


高木2

ユール5


中島谷ニ2

小林秀3


増子2

高橋3


吉田準2

佐々木圭2


運上1

二瓶太2


勝田1

宮内2


小林秀1

楢山2


佐々木雄1

吉田準2


藤井1

勝田1


宮内1

佐々木雄1






菊池1






パーピック1






三浦1






山口1






岩崎1






八反田1
アイスバックスには古河電工、ポラリスには雪印、
王子製紙には新王子製紙をそれぞれ合算しています。
YOKOHAMA 氷上 コラボ 2003 in 新横浜
「選手として果たせなかった夢に挑戦」

Thank you !
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